泣きながらおむつを替えた夜がある。


私はおばあちゃん子だった。幼い頃からずっと一緒にいた祖母が、認知症になった。 住み慣れた家で暮らし続けてほしかった。でも現実は違った。家族だけでの介護に限界が来て、祖母は施設に入ることになった。なぜ住み慣れた家で暮らせないのか。なぜ家族だけで支えられないのか。その答えが出ないまま、私は泊まり込みで介護をしていた。 当時は社会人になりたてで、介護や看護とは全く違う仕事をしていた。仕事を終えてから祖母のもとへ向かい、泊まり込む日々。体力的にもしんどかった。

20代のある夜。思うように体の向きを変えられない。失禁した衣服を着替えさせることもうまくできない。大好きだった祖母がこのような状態になったことへの悲しさと悔しさ、やるせなさ。暗い部屋の中で、祖母のおむつを替えながら、泣いた。 自分に対して、憤りと無力感が混ざり合った、あの夜のことを今でも覚えている。 それが、私の介護の原点だ。


祖母への思いを胸に、仕事を辞めて介護福祉士の養成校へ進んだ。ハローワークに足を運び、専門訓練給付を使って学ぶ計画を立てた。資格を取得し、老健(介護老人保健施設)で働き始めた。利用者さんの生活を支える日々。やりがいはあった。でも、すぐに壁にぶつかった。

入居者が急変した場面で、あたふたしてしまう。浣腸も、褥瘡の処置も、できない。家族から「なぜこうなったんですか」と問われても、医学的な根拠を持った説明ができない。 痰の吸引ができない。点滴の管理ができない。医療的なことが必要な場面で、「それは看護師の仕事です」と線を引かれる。 資格の壁。業務独占の壁。 「もっとこの人のために動けるはずなのに」 そのたびに感じる無力感は、祖母の介護で感じたものと同じだった。

実習中に、忘れられない場面を見た。廊下に3人の介護スタッフが立ち尽くし、その前で看護師が説教をしていた。声は廊下に響き、介護スタッフは下を向いたまま動けなかった。専門分野が違うだけで、上下の差はないはずなのに。その光景が、今でも頭に焼きついている。 専門分野が違うだけで、なぜこうなるのか。その問いが、ずっと胸の中に残り続けた。


老健でのキャリアを積み重ねた。平スタッフとして現場を覚え、経験を重ねてユニットリーダーへ。認知症ケアは大変なことの連続だったが、楽しいことも多く、やりがいを感じる仕事だった。スウェーデンへの福祉視察という貴重な機会も得た。現地の介護の在り方に多くのことを学び、施設に戻って実践した。

そしてある日、ふと自問した。 このまま続けていて、利用者さんのために本当になれているのだろうか。キャリアの選択肢を考えた。ケアマネジャーという道もあった。でも、現場で直接関わり続けたかった。 もっと目の前の人の命と生活に関わりたい。そのためには、介護福祉士のままでは越えられない壁がある。痰の吸引も、急変対応も、医学的な説明も。看護を学ぶことが必要だと思った。 その思いは、ある日突然湧き上がったわけではない。現場での小さな悔しさが積み重なるうちに、いつの間にか「看護師になろう」という決意に変わっていた。


グループホームの夜勤をしながら、昼間は准看護師学校に通った。身体はしんどかった。 准看護師課程は、学ぶ内容が深く、多く、濃かった。病院実習もハードだった。介護福祉士としてリーダーまで経験した私が、看護学生という「一番下」からのスタート。

ナースステーションには、いつも張りつめた空気が漂っていた。患者さんには優しい看護師が、実習生には厳しかった。何をしていいかわからず、身の置き所がない。夜になっても終わらない課題。毎日が必死だった。 介護の現場では当たり前だったことが、看護では通用しない。「施設だったらこうするのに」という思いが何度も頭をよぎった。介護観と看護観がぶつかり合い、そのせめぎあいを自分の中でうまく処理できないまま、日々をやり過ごしていた。

それでも、いろいろな患者さんとの出会いがあった。しんどかったけれど、悪いことばかりではなかった。その出会いが、なんとか前に進む力をくれた。 クラスには様々な年代の同級生がいた。新卒の若い子もいれば、社会人経験を経て入学した人も多かった。境遇が違っても、同じ目標に向かって励まし合った。その仲間たちは、今でも財産だと思っている。

このころ、結婚もした。学生という身分で、経済的には妻に頼りっぱなしの日々。肩身が狭かったが、妻は支えてくれた。(今でも感謝している) その後、正看護師を目指してさらに2年間の専門学校へ進んだ。このときも専門訓練給付を活用し、病院の奨学金も借りた。経済的な不安を抱えながらも、なんとか前に進むことができた。遠回りに見えるかもしれない。でも不思議と、後悔はなかった。 4年間を乗り越え、正看護師の資格を得た時の喜びはひとしおだった。


看護師になって良かった。心からそう思う。

介護で身につけた技術が、看護の現場で毎日活きている。ベッドから車いすへの移乗、床からの立ち上がり介助、入浴介助。おむつ交換一つとっても、その人の体型や尿量に合ったおむつやパッドを選ぶことができる。下剤や浣腸に頼らない自然排便を提案できる。こういった技術は、介護経験のない看護師には簡単にはできないことだと気づいた。

認知症ケアへの向き合い方も変わった。どんな奇異に見える言動にも、その人ならではの意味がある。その人の人生を知り、いま何を願っているかを知る。無理やりケアをするのではなく、「気持ちが動くからこそ体も動く」という声かけの大切さ。先回りしすぎてその人からできることを奪わない、待つことの大切さ。介護現場で学んだこれらが、看護師としての自分の土台になっている。

介護職とのコミュニケーションも、自分の強みだと感じている。「これは看護、これは介護」という線引きにこだわらず、その時にできることをやる。介護職から「一緒に仕事がしやすい」と言ってもらえることが、素直に嬉しい。 あの遠回りは、全部武器になっていた。


遠回りに見えても、無駄な経験は一つもない。介護で積み上げてきたものは、看護師になった後、必ず力になる。 どんな出来事にも、意味を見つけることができる。あの泣きながらおむつを替えた夜も、実習で身の置き所がなかった日も、介護観と看護観がぶつかり合った葛藤も、全部今の自分を作っている。 知らなかっただけで、諦めなくていい。私の体験が、あなたが自分の人生を選ぶための、ひとつの参考になれば嬉しい。


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