一般科急性期が限界だと思った時に考えたこと
「限界かも」とは思わなかった。
就職して半年で、体重が5キロ落ちていた。それでも、限界だとは思わなかった。急性期の仕事は忙しかったけれど、充実していた。先輩たちとの人間関係もよく、尊敬できる上司もいた。看護師としてのやりがいも、確かにあった。
それでも私は、3年と少しで急性期を離れた。
あの決断が正しかったかどうか、今なら迷わず答えられる。正解だった、と。
急性期は、しんどかったけど嫌いじゃなかった
忙しかった。それは間違いない。
でも、忙しさの中に充実感があった。処置をこなし、急変に対応し、技術を身につけていく感覚。循環器、呼吸器、内分泌——内科系を幅広く経験し、看護師としての土台ができていく実感があった。先輩たちとの関係もよく、困ったときに相談できる上司がいた。
しんどかったけど、嫌いじゃなかった。それが正直なところだ。
では、なぜ辞めたのか。
一番の理由は、残業だった。正確に言えば、残業そのものではない。残業によって失われていくものが、耐えられなかった。
子どもが保育園に入り、発達の指摘を受けた。転園を余儀なくされ、新しい環境に慣れさせなければならない時期。本来なら、そばにいてやりたかった。朝の準備を一緒にしてやりたかった。でも、前残業が当たり前の職場では、子どもが起きる前に家を出なければならない日もあった。
子どものために働いているのに、子どもと過ごせていない矛盾。
その矛盾が、じわじわと積み重なっていった。
前残業については、師長に相談したこともある。就業時間前の分は賃金が出ない。それでも多くの同僚が1時間前には来て、情報収集や点滴の準備をしていた。「自主的にやっていることだから」という返事だった。制度上、どうにもならないと言われた。
不条理だと思った。でも、変わらなかった。
辞めようと思った瞬間のこと
転機は、静かに来た。
奨学金の返還期間、3年が終わった日のことだ。返済完了の証明書が手元に届いた時、それは光り輝いて見えた。
「辞めよう」
ポンと、そう思った。自分でも不思議なくらい、迷いがなかった。確固たる決意だった。これほど澄んだ気持ちで何かを決めたことが、それまでの人生であっただろうか、と思うくらいだった。
きっと、いろんなものが溜まっていたのだと思う。不満も、疲れも、矛盾も。それが静かに積み重なって、その日、臨界点を超えた。劇的な出来事があったわけではない。ただ、もう十分だと、自分の中の何かが判断したのだと思う。
退職を伝えた時、先輩たちはとても残念がってくれた。引き留めてもくれた。
正直、胸が痛かった。尊敬している人たちだったから。もっと一緒に働きたい、という気持ちが自分の中にあることも、わかっていた。
それでも、決意は変わらなかった。
あの職場には、今も感謝している。看護師としての土台を作ってくれたのは、間違いなくあの3年間だ。円満に送り出してもらえたことも、ありがたかった。先輩たちのことは、今もよく思い出す。
精神科を選んだ理由【感情と数字の両方で考えた】
辞めることは決まった。次をどうするか。
最初に候補から外れたのは、急性期への再就職だった。忙しさは変わらないだろうと思った。クリニックも考えたが、夜勤がなく収入が下がる。訪問看護には一番興味があった。でも、やはり収入面で折り合いがつかなかった。
そこで精神科に目が向いた。決め手は、准看護師学校時代の同期からの一言だった。
「うちの精神科、定時で帰れるよ」
一次情報だった。転職サイトの謳い文句ではなく、実際にそこで働いている人間の言葉だ。これほど信頼できる情報はない。
ただ、感情だけで決めるつもりはなかった。夜勤のある病院を選んだのは、収入を落としたくなかったからだ。子どもとの時間を増やしたい。でも、生活水準は守りたい。その両方を満たせる選択肢として、精神科病院の夜勤ありという条件は理にかなっていた。
感情で方向を決め、数字で条件を確認する。転職を考える時、この順番が大事だと今でも思っている。
移ってみてわかったこと【よかったことと、誤算】
精神科に来て、まず驚いたのは時間の流れのゆるやかさだった。
分刻みのスケジュールはない。定時で帰れる。前残業もない。以前は始業1時間前には病棟に入っていたが、今は5分前でいい。
おかげで、子どもを園に迎えに行けるようになった。夕食の準備をして、妻の帰りを待てるようになった。それまで育児のほぼすべてを任せていた妻の負担が、明らかに軽くなった。家族全体に余裕が生まれた。子どもが何かトラブルを起こしても、以前より落ち着いて向き合えるようになったと思う。
一方で、誤算もあった。
精神科に来れば、身体介護は一般科より少ないと思っていた。それは大きな勘違いだった。
認知症の高齢者が、想像以上に多い。しかも、下肢筋力が低下していてベッドでは転倒リスクが高い方も多く、床に直接マットレスを敷いて休んでもらうケースがある。そこからの移乗介助は、想像以上にハードだった。床から車いすへの介助は、腰への負担が大きい。正直に言えば、一般科にいた頃より腰痛は悪化した。
ただ、それを差し引いても、あの決断は正解だったと今も思っている。
今しんどいあなたへ
「無理をしないでください」と言っても、あなたはきっと「大丈夫です」と答えるだろう。
つらいこともあるけれど、やりがいはある。何とか日々をこなせている。だから大丈夫、と。
でも少し、立ち止まって考えてみてほしい。
鏡を見た時、そこに映っている自分はどんな顔をしているか。プライベートの時間も、仕事のことが頭から離れないことはないか。嫌な場面がフラッシュバックしてくることはないか。最近、心から笑う瞬間は多いか。
「大丈夫です」と口にしながら、「大丈夫じゃないかもしれない」と感じているなら、それはもう十分なサインだと思う。
看護師は立派な仕事だ。でも、あなたは働くために生きているのではない。生きるために働いているはずだ。
生きるとは、ただ日々をこなすことではない。人間らしく、自分らしく、今日という日を過ごすことだと私は思っている。患者さんにはその人らしい生活を、と一生懸命になるのに、肝心の自分がそうでなければ、どこかおかしい。
転職という言葉が頭をよぎった時、まず考えるべきは転職先の情報ではないと思う。
最初に問うべきは、「自分にとって本当に大切なことは何か」だ。
私の場合、それを明確にしてくれたのは、准看護師学校時代の同期との会話だった。話しているうちに、自分が何を大切にしていて、何に我慢していたのかが、少しずつ見えてきた。自分の頭の中だけで考えていると、堂々巡りになる。信頼できる誰かと対話することで、自分でも気づいていなかった本音が出てくることがある。
内側が固まったら、次は数字を見る。
今の給与、休日、残業時間。転職を考えている先の条件。感情だけで動くと、後から後悔することがある。冷静に数字を比較することも、自分を守るために必要なことだ。
感情で方向を決めて、数字で条件を確認する。
あの日、返済完了の証明書を手にした私がしたことは、結局それだった。
まとめ
急性期は、しんどかったけど嫌いじゃなかった。
それでも辞めたのは、自分にとって大切なものが、そこでは守れなかったからだ。
転職は逃げじゃない。自分の優先順位を、もう一度並べ直すことだと思う。
今しんどいあなたが、自分にとって大切なものを見つけて、自分らしい働き方を選べますように。
そういえば、あの頃5キロ落ちた体重は、とっくに戻った。それどころか、さらに増えてしまっている。
我ながら現金なものだと思う。でも、それでいい。笑えるくらいが、ちょうどいい。