看護実習がつらい人へ。介護福祉士だった私が経験したリアルな話


介護福祉士として老健で6年間働いてから、看護師を目指した。 准看護師学校、そして正看護師の専門学校。合計4年間、社会人学生として学んだ。

その中で、看護実習は特別だった。

「大変だった」と一言で言えるが、それだけではない。あの日々があったから、今の自分がある。そう思える体験がたくさん詰まっていた。

これから実習を控えている人、今まさに実習中でしんどい人に、現場の本音を届けたい。

看護実習、正直しんどかった

最初に正直に言っておく。

看護実習は、しんどい。

「限界で倒れた」とか「泣き崩れた」というドラマチックな話ではない。でも、常に気が張っていた。心が休まる瞬間が、ほとんどなかった。

実習が終わって家に帰っても、仕事は終わらない。その日の記録、病態関連図、翌日に行う看護技術の計画書。夜遅くまでかかるのが当たり前だった。

記録はすべて手書きだった。パソコンを使えばもっと効率化できるのに、と何度思ったかわからない。先生の赤ペンと消しゴムかけで真っ黒になった病態関連図に、夜遅くまで頭を悩ませながら鉛筆を走らせた。

「明日、根拠の説明はできるか。手技は間違いなくできるか。」

そんなことを考えていると、眠りも浅くなる。翌朝また緊張して実習へ向かう。その繰り返しだった。

今でもはっきり言える。二度と学生はしたくない。それが本音だ。

でも、苦労して覚えたことは身につく。あの手書きの病態関連図も、今では頭の中で病態を関連付けて考える力になっている。あながち悪くはなかった、とは思う。それでも、もう二度とごめんだ(笑)。

ナースステーションに漂う、張りつめた空気

実習に入って最初に驚いたのは、指導看護師の「二面性」だった。

患者さんのベッドサイドに行くと、その看護師は別人のようだった。穏やかな声、親身な言葉かけ、患者さんに寄り添う姿勢。「いい看護師さんだな」と思った。

ところがナースステーションに戻ると、表情が変わる。口調はそっけなく、こちらの質問には「なぜ?根拠は?」と短く鋭い言葉が飛んでくる。先ほどの親身な雰囲気は、どこにもない。本当に同じ人なのか、と驚いた。

よく漫画などで、看護学生が挨拶しても無視されるシーンが描かれている。あれは実際の光景だ。

ただ、今の自分には少しわかることがある。現場の看護師は、常に患者さんのことに気を配りながら、マルチタスクをこなしている。頭の中がいっぱいなのだ。だから無愛想に見える、という面はある。

もちろん、実際に感じの悪い看護師もいる。全員を擁護するつもりはない。

でも、あの経験があったから、自分は変わった。学生さんに話しかけられたら、必ず手を止めて、その人の方を向いて話を聞く。挨拶は必ず返す。むしろ自分からする。そう決めている。つらかった経験が、今の自分の行動を作っている。

介護観と看護観がぶつかった

社会人学生として実習に臨んで、もう一つ戸惑ったことがある。

介護と看護の考え方の違いだ。

実習病院で最初に気になったのは、整容だった。眼脂が付いたままの顔、十分でない口腔ケア、伸び放題の爪。老健で介護福祉士として働いていたとき、整容は大切にしてきたケアだった。治療の場であっても、その人の尊厳を守ることに変わりはないはずだ。そう思って、反発心を覚えた。

担当患者さんとのエピソードも忘れられない。

高齢の女性で、回復期にあった。一日中ベッドで横になり、活気がなかった。「景色でも見たいな」とつぶやいていた。

施設であれば、迷わず離床を勧めていた。車いすに移って散歩に連れて行く。そうすることで活気が出て、リハビリへの意欲にもつながる。私は指導看護師に車いすでの離床を提案した。

却下された。

代わりに返ってきた言葉は「ベッドごと廊下に出たらいいんじゃない」だった。

内心では反発した。ベッドのまま移動しても、結局寝ているのと同じではないか。車いすで座位をとることに意味があるのに。

でも、今の自分にはわかる。その患者さんの状態を一番よく把握しているのは、担当看護師だ。離床するにはまだ耐久性が不十分だったのかもしれない。再発リスクがあったのかもしれない。あの時の私には、「〇〇という根拠で、車いすでの離床が有効と考えます」と伝えられるだけのアセスメント力がなかった。ただ介護のやり方に引っ張られて、憤っていただけだ。

それでも、あの葛藤には意味があったと思っている。

「なぜ」というくすぶりが、私の中に残り続けた。介護の灯は消えなかった。看護の考え方に完全に塗り替えられることなく、介護観と看護観を両方持ち続けることができた。それは、あの憤りがあったからだと思う。

患者さんから、逆に学んだ

実習中、忘れられない患者さんがいる。

会社の会長を務めていた高齢男性だった。気難しく、看護師たちも対応に苦慮していた。なぜか私が担当につけられた。

その方は話好きだった。私がひたすら話を聞いていたのが気に入られたのか、同じ男性だったからか、妙に馬が合った。娘さんから「お父さんがもう言うことを聞いてくれなくて」と相談されたこともある。「学生さんの言うことなら聞くと思うから、検査に行くよう言ってほしい」とお願いされたこともあった。

退院の日、その方からある物を渡されそうになった。全国区の有名政治家のパーティー券だった。丁重にお断りしたが、あの瞬間は今でも思い出すと笑える。

もう一人、印象に残っているのは、元国鉄マンで今は農業をしているおじいさんだった。ちょうどそのころ、妻の妊娠がわかった時期で、そのことを話すと、長年の経験から子育ての秘訣をいろいろ教えてくれた。

実習生は「患者さんに何かをしてあげなければ」と思いがちだ。私もそうだった。でも、実際には患者さんから学んだこと、教わったことの方がずっと多かった。してあげるつもりが、逆にお世話になっていた。

献体解剖の授業で、決意した

実習とは少し違うが、忘れられない授業がある。

大学病院での献体解剖だ。死後に医学の発展のために自分の体を提供してくださった方に、実習させていただく機会だった。

その場に立ったとき、その方の思いがひしひしと伝わってきた。この人たちの思いに応えるためにも、恥じない看護師になろう。そう強く思った。

実はこれに関連して、老健時代の記憶もある。ユニークな雰囲気とユーモアのある利用者さんで、私はその人が好きだった。その方が亡くなり、死亡退所の手続きをして初めて、献体の段取りをされていたことを知った。普段の姿からは全く想像できなかった。「人の役に立ちたい」という思いが、ずっとあったのだろう。

献体解剖の授業で、その方のことを思い出した。背筋が伸びる思いだった。

これから実習に行くあなたへ

正直に言う。看護実習は大変だ。

緊張の日々で、心が休まる時間は少ない。つらいこと、へこむことも多い。人生で一番落ち込む時期になるかもしれない。

それでも、そこには何かがある。あなたを成長させてくれる何かが、必ずある。

一つだけ、心構えとして伝えたいことがある。

「頑張らなければ」と気負いすぎなくていい。「患者さんから学ばせてもらおう」という姿勢で十分だ。実際、現場に出ると実習のように患者さんと深く関われる機会は少なくなる。実習は、貴重な時間だ。

そして忘れないでほしいのは、患者さんは自分の療養でいっぱいの中、実習生である私たちに協力してくれているということだ。その事実を、どうか胸に置いておいてほしい。

あなたは一人じゃない。同じ目標に向かうクラスメートがいる。意外な仲間の存在が、しんどい時期の支えになることもある。

どんな経験からも、人は学べる。あの実習の日々が、今の自分を作っている。遠回りに見えても、無駄な経験は一つもない。


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