介護士が看護師を目指す前に知っておくべきこと【経験者が本音で語る】
「採血って、自分にできるんだろうか」
介護士として老健で働いていた頃、看護師の仕事を間近で見ながら、そう思っていた。点滴、採血、急変対応——利用者の皮膚に針を刺して血を見るなんて、自分には到底無理だと感じていた。それが一番印象に残っている。
それでも私は、介護福祉士から看護師になった。30代後半で。
この記事では、介護士が看護師を目指す前に知っておいてほしいことを、経験者として本音で語りたいと思う。
最初の壁は「自信」ではなく「環境」だった。
正直、学力への不安はなかった。体力も、夜勤明けにジムに行くほどあった。
一番の不安は経済的なことと、自分の住む地域に養成校があるかどうかだった。
学校に通うには仕事を辞めるか、大幅に減らす必要がある。収入が途絶える中で、学費と生活費をどう工面するか。そして養成校が近くになければ、そもそも通えない。都市部ならともかく、地方では選択肢が限られる。これは見落とされがちな、でも重要な現実だ。
准看護師か、正看護師か。
まずネットで調べた。3年課程で正看護師を目指すルートと、准看護師から正看護師へ進む4年間のルートがあることを知った。
当時は「准看護師でもいい」と思っていた。現場でやることは正看護師と同じだし、介護福祉士よりは給料が上がるだろう、という考えだった。経済的に余裕がなかったこともあり、准看護師学校から始める道を選んだ。
今なら、無理してでも3年課程の正看護師を目指すかもしれない。准看護師と正看護師では、給料・待遇・採用のされやすさに大きな差があるからだ。経済状況が許すなら、最初から正看護師を目指す方が遠回りにならない。
お金の問題、どう乗り越えたか。
准看護学校時代は、学校が午後からだったため、学校終わりにグループホームの夜勤バイトに入り、日付が変わるまで働いてバイト代を生活費に充てた。主に貯蓄とバイトで乗り切った。
正看護師の2年課程は全日制で実習もあったため、バイトはしなかった。その代わり、徹底的に使える制度を調べた。
- 専門実践教育訓練給付金(学費の一部が支給される国の制度)
- 市の奨学金
- 就職予定の病院の奨学金
これらを組み合わせることで、かなり余裕を持って学生生活を送ることができた。
ただし、病院の奨学金には注意が必要だ。いわゆるお礼奉公がある。奨学金をもらった代わりに、一定期間その病院に勤務する義務が生じる。ブラックな病院だとつらい場合もある。どうしても辞めたい時は、奨学金を返済して退職する選択肢もあるので、覚えておいてほしい。
経済的な不安がある人は、まずハローワークに相談することをおすすめする。利用できる給付制度について、丁寧に教えてもらえるはずだ。
情報は、取りに行けば与えてもらえる。
情報収集はネットが中心だったが、一番役に立ったのは職場の看護師に直接聞いたことだった。
老健で仲の良い看護師に相談したところ、病院で看護補助者として働きながら学校に通った経験を話してくれた。時代や制度は違っても、その人のマインドは大いに参考になった。
苦手な看護師でも、「どうやって資格を取ったんですか?」と頼っていけば、意外と気安く話してくれる。仲が良くなるきっかけになることもある。
情報は取りに行けば、意外と与えてもらえる。ネットと並行して、周りの人のリアルな声を集めることをおすすめしたい。
受験は、思ったより難しくない。
准看護師学校も正看護師学校も、受験というほどの受験ではなかった。一般問題と面接がほとんどだ。
今は志願者数も減っており、よほどの問題がない限り入学できると思う。入学してからが本番だ。
准看護学校時代に結婚し、正看護師学校の卒業間近に子どもが生まれた。睡眠時間を削られながら、試験勉強と育児を両立した。しんどかった。でも、かわいい子どものためなら頑張れた。
時間は、ないものではなく、自分で作るものだ。
そのことを、あの頃痛感した。
介護の経験は、看護師になってから必ず活きる。
食事・排泄・入浴・移乗などの介助は、正直、その辺の看護師より上手だと思っている。体の大きな患者さんの移乗など、病棟でも頼りにされることが多い。
ただ、医学的な根拠を持って介助するのと、そうでないのとでは、全然レベルが違う。看護の知識を得ることで、あなたの介護技術はより根拠のある、確かなものになる。
介護と看護、両方わかる人間は、現場でとても貴重な存在だ。
「自分には無理かも」と思っているあなたへ。
看護の知識があれば、あなたの介護技術はより根拠のある、確かなものになる。
それだけじゃない。介護で積み上げてきた経験は、看護師になった後、必ず武器になる。遠回りに見えても、無駄な経験は一つもない。
まず、ハローワークに行ってみてほしい。近くの養成校を調べてみてほしい。職場の看護師に話しかけてみてほしい。
一歩踏み出せば、道は見えてくる。かつての私がそうだったように。